■和柄アロハシャツ「笑花」誕生ストーリーと「コンセプト」
シャツ職人の父の長男として育った私は、小さい頃から父が作る手作りのシャツを着てきました。
ある日、幼少期からよくかわいがってくれていた叔母がなくなり、形見分けで母親が叔母の浴衣を持って帰ってきました。その浴衣を見た父が「この浴衣生地で開襟シャツを縫ってやろう」と1枚のシャツを縫ってくれたのです。それが私の生まれて初めて見た「着物からできたアロハシャツ」でした。 アロハは、ハワイに移住した日本人が自分たちの着物から西洋のシャツに似せて作ったのが始まりだということを聞いたことがありました。しかし、私がその時まで知っていた「着物からできたアロハシャツ」は、新しい反物からできる超高級品のアロハだけでした。
着物はそもそも再利用することを前提に作られています。着物の糸をほどくと、着ていた人の体の大きさに関係なく一本の反物に戻ります。洗い張りをし、また別の人の着物として生まれ変わることができるようになっています。 叔母の浴衣からできたアロハを着ると、そのたびに叔母とすごした時のことを思い出します。他の着物から作ったアロハも、持ち主の顔はわからなくても、その着物が作られた時代であったり、季節であったり、文化であったり、「時間」や「空気」を感じさせてくれます。
着物のリサイクルショップで、古着物の現状について聞いてみました。すると、本当に多くの着物が箪笥の中に眠ったままになっていて、幸いにしてリサイクルに回ったとしても、現代女性の身長に合わないなどの理由で、着物として利用されることは少なく、切り刻まれ、和柄小物などとして個人の趣味のために利用されることが多くなっている現実を知りました。 そんなことから、着物を再生させ、再び「着るモノ」として蘇らせるこの事業を、単なるビジネスという枠を超え、確立させなければならないと思い始めたのです。
そんな折、着物ショップを営む知人が、リサイクル着物の利用方法を探していることを知り、さっそくこの構想を話しました。その話を聴いた別の知人が、「じゃ、俺買うわ」 そして『うちの工場でも縫いましょうか?』という縫製工場の人も現れてくれたのです。 こうして「わろは本舗 」と『笑花』は誕生しました。
日本の縫製業の国内生産は、本当に少なくなりました。日本人で、「Made in Japan」の衣服を普段身に着けている人はいったいどれくらいいるでしょうか? 経済原理からいえば、安くていいものが買われるのが当たり前です。中国やアジア諸国の縫製工場で作られる衣料品の品質は、どんどん良くなっています。
ただ、日本人が作る「アロハシャツ」がなくなるのを寂しく思う一方で、日本人が作り出した「着物」を日本人が着なくなるのはもっと寂しい。そう思うのです。 できれば着物として利用してほしい、それが無理ならせめて、カタチを変えて残したい。そんな想いを共有できる人のつながりでこの「アロハシャツ」達は作られています。